ビックリマン年表理想論

ビックリマンの歴史解釈ってのは本当に諸説さまざまで、
漫画・アニメ・シール・雑誌記事などで違ってくるのは良く知られています。
だからこそ個人の解釈次第でいろんな見方ができるという魅力があるわけで、
逆に他人の意見を認めない、というスタンスは敬遠されがちな傾向があります。

しかし、「ビックリマンの歴史」というものを一まとめにしようとすると
全ての要素を含めてつなげるのは事実上不可能。
いちいち枝分かれさせるわけにもいかないでしょうから、
いろんなところで取捨選択せざるを得なくなるのではないかと思われます。
全部の意見を取り入れるとそれこそ収拾付かなくなるでしょうし。
ともすれば情報量は多くても非常に見づらいものとなりかねません。

ネット上でも年表みたいなものはよく見かけます。
ちゃんと「ここではこう書いたが別解釈もある」と注意書きしてあるところはいいのですが
そうでなく個人解釈をそのまま書きっぱなし(しかも断定調)だとちとまずいよね…なんて思ったり。
とは言え、元々が「点」でしかないものを「線」にする上ではどうしても補間作業が必要で、
そこに個人解釈が入ってくるのは避けられないのかもしれませんが…。

理想的には、個人解釈が入ってくるところは読み手の解釈にゆだねるのが一番かと。
書き手の解釈は付けずにシール裏情報や雑誌記事の抜粋のみを提示して、
この項目にはこういう「考察要素」がある、と紹介する。
もちろん単語の意味や元ネタ、関連要素などの付加情報はあったほうがいいでしょうけど、
極力読み手の想像力に任せる書き方にとどめるのが望ましいでしょう。
あ、情報の出所も記載したほうが親切でしょうか。

裏づけの薄い項目では「決め付け」だと思われそうな書き方をなるべく排除する。
これができれば、資料的にも非常に優れたものとなるかと思うのですが…。

…と書いてはみたけど、かなり難しそうですね(^^;
うろ覚えなところも一切無くして、裏づけのある文面のみで構成するというのは…。
特に情報量が乏しく、メディア間の整合性が低いマルコ編以降なんてどうしたらいいのか(爆)

やはり公式データブックみたいなのが欲しいなあ…。
でもそれはそれで、昔の資料と矛盾が出てくると余計な論争の種になりそうですが(^^;

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