鏡の中のマリオネット

そういえば、ロッテは相変わらず作為的なレアシールを乱発して
コレクターに苦渋を味わわせているようですね。

昨年もエヴァの抽選やら水族館の限定メニュー特典やらサッカーイベントの入場特典やら、
ごく少数の人の手にしか渡らない「超レアシール」を作ることで
ネットニュースを沸かせるようなことを繰り返しているとか。

何故そんなことをするのかというと、まあ単純にマーケティング戦略...なんですかね。
市場の割合からすればごくわずかなコレクター層への配慮はバッサリ切り捨てて、
大多数の一般層へのキャッチーな呼びかけに注力するという。
これをやるといつまでたっても新たなファンが育たないわけですが、
刹那的に売れればいいという発想なんでしょうね、おそらく。

そうは言いつつも、もう何年もこの方式で続いているので
担当者が変わらない限りは方針転換も期待できないでしょうね。

でもまあ、シール自体もペラいエンボスや偽キラでしょうし
サッカーのやつなんかは間違い探しみたいな新規性に乏しいシールだそうなので
ぶっちゃけコンプを目指さなければ無視すればいいだけのはず...。
それができないのは、「コレクターはコンプを目指すもの」という呪縛のようにも思えます。

実際問題、私が現役コレクターだったころは、劇場版AKBックリマン
スフィンクスヘラクライストなどに必死になっていたものですけど、
今となっては「ヘッドロココII?センスの欠片も無いなw」としか思わないので、
コンプのこだわりさえ無ければ気が楽になるだろうとは思うんですよね。

もっとも、コンプリートこそがコレクターのアイデンティティであったりもするので
それを捨て去るのが容易ではないのもまた当然のこと。
ロッテに操られるのが嫌だからといって糸を切ってしまえばどうなることか。

ある意味、ロッテとコレクターのチキンレースなのかもしれません...。

限界突破×Pアクター

(昨日の記事の続きです)

じゃあメイドンは何なのかというと...、
彼女らが持っていたのは「若神子の武器」「聖源名」

そういえば聖源名って、理球にも書かれてましたよね。
聖球と違い、理球は神帝が自ら生み出したものなので、神帝の分身みたいなものと言えるかも。
言い方を変えると、理球とは神帝が消える前に残した卵のようなものかと...。

そう考えると、メイドンは「理球から産まれたもの」だったりしないでしょうか??

思えば、メイドンになった5神帝はいずれも智道の巨孔で無防備聖体に変化したり、
聖幼時体験を見たりと己のルーツをトレースするような経験をしていました。
こうして抽出された要素が結実したものが理球だったり、メイドンだったりしないですかね?
(逆にこの経験が無いヤマト・アリババはメイドンを誕生させる素養に欠けていた?)

理球がさらなる増力のために一度肉体を捨てて生まれ変わるためのシステムだとしたら、
そうして生み出された新たな肉体がメイドンなのではないかと...。

「無限小リング」なんてものを浮かべてヘッドとして誕生したその流れもまた、
レベルMaxのSレアキャラが限界突破してレベル1のSSレアになるようなものかと(笑)
聖神様もおったまげです。

虹層球の時点で、因子も記憶も失わずにパンゲアクター的な姿になれればベストでしょうけど
そうならなかったのは虹層球突破の代償か、はたまたグレートサラオの意思??
(と、お茶を濁す...)

吾輩は少聖である

18弾ヘッド・メイドンの5人についてちょっと思ったのですけど、
数ある若神子ルーツのキャラのうち、彼女らだけ「名前」が無いんですよね。

普通は「ヤマト〇〇」とか「××牛若」みたいにキャラ固有の名前が付きます。
ひかり伝では「スサノ」「若」のように変化はありましたが名前が無いわけではなく。
けどメイドンだけ「幻使」「霊使」のように、肩書や二つ名っぽいものしかありません。
これ、何故なんでしょうね?

7神帝は虹層球突入時に理球とともに聖体が昇華してしまったわけですけど、
因子や記憶が消えたとは書かれてません。

聖体というから解き放たれた因子と記憶は幾源期を経て、
片や因子は大ポリニアに流れ着き黒十字架の中に眠っていたとされ、
片や記憶はダファドルームでアーチ天使レリーフが保持していたと考えられてます。

メイドンの生まれ変わりとされるベイギャルズは、大ポリニアでルーツ原子に吸収されて
ギャルジャーとなり「牛若」「ダンジャック」などの本来の名前を獲得しました。
この時点ではまだ記憶は受け継いでいないので、名前は因子と紐づいていると考えられます。
(原子やら因子やら混在してますが、便宜上ここでは同じものと考えてます)

そう考えると、メイドン達は若神子因子を持っていないがゆえに
「名前」を受け継いでいないと考えられないでしょうか?
まあ、肉体は魂の乗り物...みたいな考え方だと、魂が別の場所にあるのに
同じ名前のキャラがいたら面倒くさいですよね。

とはいえこの時点で「ミネルンバ」みたいな固有名を名乗ってもよかったと思いますが、
そう考えると彼女らは平和な時代において理力を後世に残すための
テンポラリな存在なのかなあとも思ったり。

考えすぎですかね?

紙に神を宿らせしもの

自作シールの勢いはとどまることを知らないというか、
今や自作抜きでシール文化を語ることはできない域にありますよね。

かつては技術のある一部の人が細々と、しかし愚直に技術を追求して作っていた印象ですが
今や印刷業者のテンプレートに乗っかるだけで誰でも手軽に作れるようになったのがブームを後押ししてますね。
ロッテなどのメーカー側が安易で平易なコンテンツしか生み出さないことも
シールファンを自作へと向かわせる原動力になっていると思われます。

とどのつまり、多くのシール好きは心揺さぶられるアイテムを望んでいるのであり、
だからこそ「シール好きがシール好きのために作るシール」がウケているのでしょう。
ただ、そのレベルの「シール好き」は市場を成り立たせるほどの規模ではないため、
販売側の視点だとお菓子のおまけにそこまでコスト掛けられないというのが現実でしょうか。
本来は市場は育てるもので、ただ乗っかるものではないとも思うのですが
そこは考え方の違いもあるので深追いはしません...。

ともあれ、昨年はまんだらけから自作シールを集めた資料本が販売されたりもして
自作シールが一サブカルチャーとして認定されたような印象を受けました。
まだまだアングラ感もありますが、他のオタク文化同様に陽の当たる存在に近づいた感もあり
数センチ四方の紙に魂を込められたアイテムはますます人々を熱くさせそうですね。

私は集めてないんですけどね、ええ。