BM的ダイバーシティ論

ビックリマンのいいところは、シールやアニメ等で異なった設定があっても
それらを幅広く受け入れて個人個人が好きな設定を取捨できるところ...。

...という意見をたまに目にするのですが、
ならば別冊宝島や外伝あるいは公式HPで展開される最近のストーリー解釈、
いわゆる「下田設定」が受け入れられない風潮が強いのは何故なのでしょうか?

今のビックリマンの裏書やストーリーなどの要所は
かつて「ビックリマン研究員」という名目で公式サイトにも登場していた
元レッドカンパニーの下田淳氏が中心になって取り仕切っているというのは
ご存知の方も多いかと思いますけど、

「ヘラクライストは第二次聖魔大戦後は一度も起動していない」
「ブラックゼウスは6聖卵爆撃後ずっと自我を失い暴走している」
「アリババも明星もルーツは悪魔(に強く影響されている)」

というような、従来の通説とは異なる解釈がたびたび目に付くこともあり
古くからのファンからは敬遠されがちです。
しかし、どのようなトンデモ設定だろうと冒頭で述べた多様性の理念からすれば
受け入れられないまでも一つの選択肢として容認するのが筋だと思いません?

まあ、受け入れられない理由として考えられるのは
そもそもビックリマンが多様性を持っているといっても
30年の月日の中で徐々に凝り固まっているのではないかということ。
シールやアニメやEXテレフォンやコロコロといった多様な媒体が影響しあい、
「混然一体となったもの」がベースなのであたかも自由度が高いように見えますが、
その実、そのようなキメラ的な構成自体が一つの基準として確立してしまい
それと合致しない新たな設定の参入を拒んでいるのではないか...と思うのです。

言い換えれば、
「せっかく今の設定でバランスとれているのに、後出しで崩さないでほしい」
という考えがあるんじゃないかと。

またファンの視点として、別箇の世界観を一つにつなげたがる傾向もありますよね?
2000の集中豪無編で「多層宇宙」が提唱されて以降に顕著なのですけど、
何かにつけて本来異なる設定や世界を関連付けたがる人が増えた気がします。
それゆえ、同じ世界観の中に矛盾するストーリーが追加されることには
より一層の拒絶反応を示してしまうのではないか、とも思ったり。

あとは単純に、現体制に対する苛立ちですかね?
チョコの売り方をはじめ、ロッテのBMブランド商品展開そのものに対して
古くからのファンはストレスを感じている状況が続いていますので、
そこにストーリーで「余計なこと」をされると尚更腹が立つ、というのもあるかと。
ロッテとしては新規参入層を意識した「単純でわかりやすい物語」を目指していて、
一方で従来設定との整合性は二の次と考えているのかもしれません。
その方針で新規ファンが根付くかどうかはわかりませんけど。

まあ、改変された設定が面白ければまだ許せるのかもしれないのですが、
今のところ「それ変える必要あるの?」とツッコミたくなるところばかりなので...(^^;

はたして33弾から始まった新しい流れは、どこに向かっていくんでしょうね?

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