ビックリマンが始まった頃は、スーパーゼウスが「全能の神」として君臨していました。
いや、少なくともそういう設定でした。
ところがブラックゼウスが登場したあたりからゼウスの唯一神設定が崩れ始めます。
二人のゼウスを生み出した「聖神」の存在がささやかれ出したのがこの頃です。
源層界には「聖神」と呼ばれる存在がいて、聖魔の戦いを見守っているという設定になり
スーパーゼウスは単なる一天使ヘッドに格下げされたような感じになってしまいました。
その後、源層界の聖神ナディアが姿を現したわけですが
同時に異聖神メディア、さらにそれらの上を行く超聖神(この頃はまだ「謎の聖神」)の存在が判明。
天使や悪魔とは次元の違う、まさに「神」の世界が徐々に明らかにされていったわけです。
しかしそれらが話しに絡んでくるとやたらややこしくなってくるというか、
それじゃ従来の天使・悪魔って何なの?という哲学的な側面が表層化しだして物語は複雑になります。
そうして悪魔VS天使という単純二極構造が崩壊し、設定自体もあいまいなまま
パンゲ編、超元祖編へと突き進んでいったわけです。
こうした世界観の拡大は設定のインフレを招き、その後の物語の整合性が取りづらくなり
収拾がつかないまましぼんでいくというのが長編物語にありがちなパターンです。
ですが、2000でもこの傾向は踏襲されてしまいました。
アノドと同格の深層神が登場し、やたらめったら世界観が拡張されて
超聖神が唯一絶対の創造神という設定は崩れ去りました。
(この設定自体は漫画版スーパービックリマンから存在してはいましたが…)
かつては「超聖神はビックリマンの最後の最後に登場する」とか言われてましたが、
超聖神の神格もだいぶ値下がりしてしまった今となってはどうしたものやら。
とは言え、超聖神アノドがシール化していないのは唯一の救いでしょうか…。
未だに姿が完全には判明していないことで、どうにか神秘性を保っている感じがしますよね。
そういう意味では、アノドがシール化したら本当に「終わり」ってことなのかも?
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