もしかしたらなんとなく感じてる人もいるかと思いますけど、
この私、ビックリマンに関して非常に熱心なようでいて
結構冷めた目で見てることが多いです。
元々ストーリーに関して、歴史物を読むような関心はあっても
キャラクターに感情移入するようなことはまずありません。
かつて虹層球で神帝隊が消滅したときも
「へー、ここで彼らがいなくなったら、この先ロココだけでどうすんだろ?」
というぐらいの感想しか持ちませんでしたし。
物語に関して「ショックを受ける」とか「感動する」とか、
そういうところはほとんど無いです。
伏線の張り方やアイテムのネーミングに感銘を受けることはありますけどね。
そんな私が目下いちばん気になっているのが、
「ハピラキ」と「旧アニメ」、そして「ひかり伝」の相関関係。
2000で冨岡さんが「あらゆるビックリマン世界はどこかでつながっている」という
「並列縦列宇宙層理論」をぶっ立てたことも後押ししてか、
何かと異種シリーズ間に「つながり」を見出そうとしている人も多いですけど
私個人の意見としては、ちょっと違和感感じてしまうのですよ。
別につながんなくたっていいじゃん。
これは特に2000やアニメに限らず、例えばひかり伝と旧ビックリマン、パンゲとSBMなどもそうです。
ひかり伝でアノドが出ずじまいだったとしても
ハピラキの世界が旧アニメの世界観と全く違ったとしても
超元祖がさも最初から無かったかのように扱われたとしても
もしそれが自然な事の成り行きならば、それはそれでいいじゃないですか。
「ビックリマンは自由に想像で補えるのがいいところ」と言いながらも
シリーズ間のつながりという「鎖」に縛られてしまうなんて、矛盾してませんかね?
あれこれ理屈を付けて自分から制限を付けてしまうぐらいなら、
いっそ既成概念を取っ払って素直な視点に立ち返るのもアリじゃないでしょうか。
もちろん、普通につながりうる世界に思いをはせて想像力を働かせるのは自由です。
独自の解釈や解析を推し進めて、これからどうなるかを予想するのは楽しいことです。
スタッフ側(ロッテ・アニメ双方)も、つながりを意識して作っているところもありますし、
全体を大きな物語として捉えることは全く間違いではないと思ってます。
けど、「つながりありき」のような考えにとらわれ過ぎるようだと、
逆に発想力を狭めてやしないか、と思ったりもするわけでして。
確かに「つながり」があるほうが、前の世界を知っている者からすれば楽しいですけれど…。
ハピラキの若神子の今後など、すぐに旧アニメとのつなぎを気にする人たちに対して
「いいから黙って最後まで見ようよ」
とか思っちゃう私は心が狭いのでしょうか?