きゅー太の一人舞台


2001年5月上旬 
1日 若葉とアイスとフィギュアチョコ
2日 聖フラダイス回顧録
3日 Beautiful Name
4日 相対的希少価値感覚の個人差に関する考察
5日 チャットラウマ
6日 憂鬱なる皇帝
7日 それはアキレスと亀のごとく
8日 聖魔守和合
9日 ふと振り返ると
10日 タコがハポンでイカがジュポン
 
2001年5月1日(火)  若葉とアイスとフィギュアチョコ

5月です。
新緑も目に鮮やかに風薫る季節になりました。
シールコレクションには何の関係もありませんが。(爆)
風情もへったくれも無いですねえ。年がら年中チョコをばりぼり。
しかしこれからは湿気が気になる季節。チョコも開封したまま
うっかり放っておくとカビも生えかねません。

さて日増しに暑くなる頃合ですが、暑くなるとアイスが食べたくなるものです。
思えばビックリマン2000アイスは登場するのが早過ぎました。
今ぐらいの時期に、ちょうど1弾2弾のシールが復刻されるようだと
需要もそれなりにあるように思います。
だからって「1弾P5入り」とかだといささか辛いものがありますが(^^;

でもどうせ出すのなら、あのフィギュアチョコについてたシールのデザインを
アイス版シールに活用して欲しいです。
クリア受神がウインクしてたりバニーラがスプーンに乗ってたりと、
全キャラが通常のチョコ版とは全然違う書き下ろしバージョンになってて、
キャラによっては裏書まで違っていたという芸の細かさ。
なのに、せっかくのポーズ違いがあれだけで終わりってのは実にもったいない。
再利用されたほうがイラストも浮かばれると思うのですが、どーですかお客さん?!



2001年5月2日(水)  聖フラダイス回顧録

2000が発売される前、ネット界にはビックリマンのサイトはごくごくわずかで
それこそ片手に足るか足らないかという具合でした。

当時はネット人口そのものも少なく、ましてや「ビックリマンは過去の物」という時代だったので
ビックリマンファンの人口も本当に微々たるものでした。
そんな中で思い出話中心にそこそこ盛り上がっていたわけですが、当時一番にぎわっていたのは
「聖フラダイス」という、旧BMの16弾ぐらいまでを中心に扱ったサイト。
今はもう閉鎖されて久しいですが、あのころネットをやっていたBMファンの大多数は
コレクター・同人問わずフラダイスの掲示板に集い、チャットで毎夜騒ぎ通していたものです。
(ちなみにこの頃なぜかBMのエリア名をそのままサイト名にしたHPがいくつも立ちあがり、
連合のように半ば共栄共存してました。そのいくつかは今も健在です。)

しかし時代の流れか、2000が登場してしばらく新たにファンになった人が多数詰め掛けたものの、
聖魔塔やおましーと言った現在の主流サイトが次々開設されて行く中で、旧BMに固執していた上に
情報発信という時代のニーズに乗ろうとしなかった聖フラダイスはどんどん寂れていきました。
(元々その大部分が今の聖魔塔のように「人が集まること」に依存してた部分が大きかったようです)
そして徐々にコレクター系は聖魔塔などへ、同人系は他の同人系サイトへ移り住むようになり、
やがて半ばゴーストサイトと化した聖フラダイスはひっそりと終幕を迎えたのでした。

私としてはこの時期を境にコレクターと同人の棲み分けが顕著になったと思うのですが、
(それまでは単純に人が少なかったので、あえて分かれて存在する必要が無かっただけでしょうが)
言うなればそれまでのフラダイスは天聖天魔分離前の源層期のようなものだったのかも…。
人が増えると細分化するのは自然の摂理だし、そのほうがお互いメリットも多いのでしょうけど
今一度「聖魔和合」となる時代はやってくるのでしょうか…?



2001年5月3日(木)  Beautiful Name

カーネルダース12使徒で干支の順番を覚えたという人は多いでしょう。
ハートタンク12エリアや新聖族で誕生石を記憶してるという人も結構いるはず。
(なぜか4月のダイヤモンドが先頭なので、ずらして考えるのが面倒ですが)
さらにカーネルダークで「驢馬」や「麒麟」「蝙蝠」という漢字が書けるようになった人もいますよね?

そもそも12人だからダース。
それを某フライドチキン屋のおじさんと組み合わせたのが「カーネルダース」なのですが、
キャラ作りの強引さはこの時期ビックリマンが抱えていた混迷をよく顕わしているように思います。

まずアウグス子'sからして、ローマ皇帝アウグストゥスに「子(ね)」を組み合わせたものですが
「アウグス子ス」じゃなく「子’s」としてるあたりの強引さは特筆モノでしょう。
「コンスタン未」なんてもはやダジャレでもなんでもないですし「ムガール亥」なんてくっつけただけ…。
設定では彼ら12人は聖神直属の使徒で、一人一人がFuzzyM.Rと同等の存在らしいのですが
なのに後にライバルのカーネルダークと融合してマルコの部下に成り下がってしまうのは
果たして因果なものであろうと言わざるを得ません(^^;
命名加減そのままに適当にあしらわれたような気がするカーネルダース&ダーク。ご愁傷様です。

逆に強引に見えて実は深い意味があったのかと感銘を受けるのは、その次の弾で登場したB・Z・H。
「H(ヘッド)」になる前の5つの名前(B・Z・Sなど)のアルファベットをつなげると
「S・C・R・A・P」(スクラップ)となっているのはやはり狙っていたのでしょうか?
あのネイロスも単に「ドラキュロス」の「ロス」に「ネロ」をからめただけの命名かと思いきや、
実はギリシャ神話でナイル河の神として「Neilos」というのがいて、ナイル河のことをネイロス河とも
呼ぶっていうんですから驚きですよねえ。

まさに「エズフィトはネイロスの賜物」。さすがは恐るべしタンゴ博士。



2001年5月4日(金)  相対的希少価値感覚の個人差に関する考察

スペシャルセレクションがまだ揃いません。
大体毎日平均5個前後のペースで買ってるものの、
赤&緑へラクはトンとご無沙汰で、マリア黄とかロココ赤とか
もはやどうでもいいものばかりダブりまくります(涙)
昨日も巷で出にくいと言われているカーン青がダブったのですけど
いくらレアと言われてもまだ持ってないフェニックス橙のほうが良かったなあ…。

とまあ、このように世間の価値観と自分の中での価値観というのは
必ずしも一致しないもので、ましてや既に持っているかどうか、
ダブっているかどうかでその価値観は大きく異なってくるものです。
例えばゼウス橙が全然出なかったという人にとっては、ゼウス橙は
緑ヘラク桃よりも断然レア感のあるシールでしょうし、逆もまた然りでしょう。

そういえば旧のころからずっと集めてた人にとっては、300番代のノーマルシールは
ヘッドにしかストーリー価値の無かった頃のものなので当時はムダ駒同然でした。
私も以前は交換時にオマケとしてタダ同然でホイホイ人にあげたりしてたほどなので、
今になって希少価値が出てきたと言われてもなかなかピンとこないものです。

でも周りがレアだレアだと騒ぐことによって、急にそのシールが大事に見えて
妙に手放すのが惜しくなったりすることもありますよね(^^;
例えば逆キラ。
特に区別して集めてない人にとってはどうでもいいことのはずなのに、
不思議と自分でもプレミア価値を上乗せして考えてしまいます。

しかしそうは言っても手元にかなりダブりがある場合、自分の中での「相場」は
大きく崩れてたりするもので、例えばおみくじら1弾のラメキラや金シールなんかは
私の中ではオマケに何枚も付けちゃうぐらい価値の低いものなのですけど、
交換相手によっては「こんなにいいんですか?」と驚いてくれたりするものです。
マイナー系とかでも、超念写シールや運の王様なんかはかなり自己レート低いので
自己レート高めのビックリコとのマイナー異種交換が成立すると凄く得した気分だったり(笑)

両方集めてない人から見ればどっちもどっちで大差ないように見えるでしょうけど、
やっぱり価値観ってそういうものなのでしょうね。



2001年5月5日(土)  チャットラウマ

私はチャットをほとんどやらないです。
一番の理由は、時間がもったいないから。
チャットしながらページの更新とかできればいいのですけど
どうしても作業が遅く重くなるし、会話に没頭しちゃうタイプなので
チャットはかなりご無沙汰しております。掲示板巡りで精一杯(^^;

とは言え学生の頃は家にネット環境が無かったので、
深夜チャットはもともと無理でしたけど、その分大学の研究室からは
ヒマさえあれば朝となく昼となくチャットに入り浸ってました。
幸か不幸か私の研究は個室でひとり行うものだったので、
それこそ研究そっちのけでひとり黙々とチャット三昧。
酷い時は昼食後から帰るまで7時間ほど連続チャット漬けな日もありました。
相手は同じように大学の図書館などからつないできた人などが
入れ替わり立ち替わりで2〜10人ぐらいでしたでしょうか。
入室して待ってれば大体誰か知った人が入ってきたものです。
(よくこんなので卒業できたなあ、私。)

私がチャットしないもうひとつの理由は、今更話題に入りにくいことかな。
既にネットワークが出来上がってるサイトのチャットだと
ビックリマンとは何の関係も無い話題で盛り上がってたりするし、
きゅー太だということで意識して見られるのもなんだか居心地悪いし…。

…もうひとつ、私がチャットを"あえて避けている"理由がひとつ。
それは、チャットでは掲示板よりも会話にかかる責任が軽いせいか、
人間の裏表といった「あまり見たくない部分」が見え隠れすること…。
実は2年ほど前にちょっとしたチャットがらみのイヤな思い出があったりするので
それ以来極力チャットは避けております。人生いろいろあるものヨ。

でもやはり一番の理由は最初に書いたとおり時間が無いことと、
始めちゃうとハマり込んで動けなくなることですね。
いくらでも夜更かしできるのならいいのですが、やっぱ社会人は辛いっすよ〜。



2001年5月6日(日)  憂鬱なる皇帝

超元祖やセレクションの巻き起こした旋風も落ち着いてきて、
そろそろ店にも7弾3期が並び始める…ころだと思ってたのに、
結構7弾1期のチョコとかが未だに残ってたりします。
ここでもセレクションの影響が響いているようですね。

でも8弾になる前に7弾の紙芝居皇帝4種を集めなくちゃならないのに
かつての熟水天DFやWUGユウのときみたいな「関東飛ばし」が
また繰り返されるのではないかと不安な毎日です。

一番悔しいのは、それがたかが紙芝居皇帝だってこと…。
(皇帝ファンの皆様すいません)
それも腹の絵がストーリーと何の関係も無くすげ変わっているだけ。
DFのような全面的な変更や追加ならともかく、たったそれだけのために
またたくさん買わなくてはならないのかと思うと気合もいまいち入りません。
せめてストーリーに関係のあるドラマチックな絵柄なら燃えるのになあ…。



2001年5月7日(月)  それはアキレスと亀のごとく

ビックリマン2000の最大の敵、それは地域格差。
発売が始まってもうすぐ丸2年。
中部地方での第1弾先行発売から始まった2000はその後関東→関西→地方へと
着実に範囲を広げ、確か去年の今ごろ全国発売を実現しましたっけ。

それから丸1年。未だに約1弾分のズレが解消されないままです。
超元祖のように試験販売と言って地域ごとに意図的にバージョンを変えたりするのは
違いを出すことで売上増につなげようという「目的」が見えるのですけれど、
2000については素材不足などにより「やむをえなく別バージョンを出す」以外は
あえて弾をずらして売る必然性が全く無いように思います。
むしろ後発地域の人たちにとってはストレスがたまったり収集意欲減退を招いたり、
通販や代理購入により「生態系」が崩れたりと、良い事はひとつもありません。

既にチョコを全国に送り出せるだけの生産力は備えているのですから、
例えば関東で3ヶ月かけて売るところを地方では2ヶ月で売るようにすれば
それだけで1ヶ月分格差が縮まりますよね?
さらに混合箱のシステムが確立しているのですから、地方では最初から混合箱で
1期2期3期を同時に手にできるようにしておけば、少々あわただしいですけど
短い期間で先行地域と同じシールを入手することができるのではないでしょうか。
こうすれば、やがて全国で同時に次の弾に切り替えということも可能では…。
何も同じ日付に切り替わるようにしてとは言いませんけど、ある程度同時期に出すことは
十分できることだと思うのですが、なぜそれが実施されないのでしょう??

誰もがすぐに追いつけると思ってるのに、いつまでたっても追いつけない…。

これは邪推ですが、例えば先行用と後発用の2つのシール印刷機があるとして、
まずは先行用でどんどんシールを印刷し関東や関西のチョコに封入する。
そしてその弾の生産分が終了すると、残ったシールを後発用に持ちまわしして
足りない分は後発用印刷機で調整しているとか…。
(チョコごと転用するのはさすがに問題アリでしょうけど、シールだけなら…)
全国分を同時に作ると全体の生産量との兼ね合いで枚数調整が難しくなり、
場合によってはシールだけが大量に余ってしまう事態も発生し得るでしょう。
しかしこうして後発用で微調整をすれば、いくらか過剰なシール生産を抑えられるのかも?

実際、これまでもアイス版のために弾の違うシールを作っていたわけですから
あえて弾の異なるシールを生産していることは、ありえない話ではないかも。
さらに超元祖でも、関東でしか出ないはずの裏が白っぽい天使や次代シールとか
赤ラッキーシールが関西版に一部混在していたのもこのせいじゃないでしょうか??

よって「地域格差が無くならないのは生産効率を高めるための必要悪である」、
というのがきゅー太が勝手に導き出した結論なのですが…
…果たして真相はいかに?!



2001年5月8日(火)  聖魔守和合

「お守りはカオスの影響でサポーターとフーリガンに分かれてしまった」
というのがビックリマン2000における聖守・魔守の起源だそうな。

ならばカオスの脅威が去って聖魔和合がなされた今、
聖守と魔守は今一度お守りに戻ったりしないのでしょうか??
少なくとも聖魔守(ファン)という属性に統一されてもいいような…。

そういや天使・悪魔に「ギガ天使」「バグ悪魔」っていう呼称があることを
昨日「おはスタ」で始まったビックリマンコーナーを見るまで忘れてました。(爆)
今や完全に死に設定ですね。



2001年5月9日(水)  ふと振り返ると

なんだか最近、論文調の長ったらしい文が多いなあ。
自分で過去のを見返してみて、あんまり長いから読むのやめちゃったくらい…。
2月3月のはもっと単純というかあっけないというか、さっぱりした小ネタ程度だったのに
だんだんと主義主張なんかが多くなってきたのは自分でもちょっと具合悪いように思う。
もっと簡潔に、肩の力を抜いて見てもらえるようなものを心がけねば!

てなわけで今日はオシマイ!明日はきちんと書きますんで(^^;



2001年5月10日(木)  タコがハポンでイカがジュポン

「おはスタ」によれば、現在までビックリマン2000のシールは
約300種出ているそうです。

おかしいな。
ウチのアルバムにはその3倍ぐらい種類がある気がするのですが。


 
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